コルベアの旅立ちと風刺

2015年になって、2週間も立ってから、自分のブログ存在を思い出しました。
今というか年末から原稿執筆中で日記書いてる場合ではありませんが、
煮詰まりすぎてガス抜きがてら書いています。
昨年12月18日にスティーブン・コルベアの「コルベア・リポート」が最終回を迎えたんです。
ジョン・スチュワートのthe daily showから派生した番組が始まって、十年近くになっていたんですね。
私としては、またGod machineを使った宗教ネタが見たかったなあと思いますが、最終回は、
もうセレブの連発でした。ジョンはもちろん、歌はシンディ・ローパーバリー・マニロウがリードしてたし、
ヨー・ヨー・マやパトリック・スチュワート、トム・ブロコウ、ウィリー・ネルソンとかクリントン
宇宙飛行士、キッシンジャーやらとにかくすごい数の有名で主に民主党的なメンツが勢揃いでした。
今年の九月には、スティーブンはレターマンの後釜として新しいレイトショーを取り仕切る訳ですが、
同じテレビ局でジョンとスティーブンの組み合わせで見るのが楽しみだったのでちょっと残念です。
さて、コルベアというのは風刺ネタを得意とし、宗教ネタもとてもよく出てきます。
宗教ネタの風刺というのは、とても難しいものだと今年に入って考えさせられました。
立場の強い者が弱い者に対して風刺をするのは理解できないし、自分の文化と違う人を
ひたすら断罪する風刺も駄目だと思いながらも、じゃ政治的に正しい宗教風刺はあるのかと言われれば
自分の答えが見つかりません。フランスの風刺新聞は語学の勉強もかねて読んだりしています。
でもその問題の雑誌は嫌いで数回しか読んだ事がありません。
彼らのやたらめったら宗教をたたくとか、無神論の人より過激な宗教攻撃にも感じたからです。
ジョンとスティーブンも確かにかなりキツい風刺だけど、
自分と考えの違う人ともそれこそ番組にもよんで正面からつきあってる。
だから最終回にも全く考えの違う、スティーブン自身がパロディのモデルとしている
右なビル・オライリーも出てきたのだと思う。(単に出たがりなのかもだけど)
なんだろう、仏での「テロ」以降、報道される度にものすごい違和感があって、自分の中で整理できない。
起こった事は酷い事で、全く正当化できない。
暴力で問題は解決してはならないと思うし、言論の自由は守るべきという事に異論はないが、
だけど私は私であって絶対にチャーリーではないし、なりたくもない。
言論の自由は守られるべきだが、違う文化と社会的弱者の人をひたすら馬鹿にして
断罪する事もしてはならないのだと思う。
じゃ、極端な表現という理由で表現者の自由は奪われて良いのかというと、それも少し変な気がする。
頭の中で、どう考えても今回の「テロ」は疑問と違和感だらけで、なんだか居心地が悪いのです。
今は一六世紀に集中したいのだけど、宗教が絡んでくるとやはり気になって気になってどうしようもない。
事件が起こってからフランス系のニュースからケータイにひっきりなしに通知が届くので、
ちゃんと読まなくても、ちらっと見ては違和感が増える。
うまく説明できないのですが、今回の事件は9.11以上に頭の中を整理できない。
これで宗教風刺がなくなったら恐ろしい。
でも、チャーリーな風刺にはどう対応すれば良いのだろう。
言論の自由って何?ということを考えろという教訓にするしかないのだろうか?
それを考えているとわからなくなるので、そろそろ原稿に戻ります。
しかし、この違和感とどうつきあうかが今年の大きなテーマになりそうです。
そんな悩める私ですが、本年もどうぞ宜しくお願いします。