誤訳のおもしろさ

キリスト教の知識皆無の学生が多いので、聖書の名場面や聖人の図像学を講義で取り入れてます。
自分もこれは楽しんで準備しています。
とくに聖書の名場面の絵画や彫刻には誤訳・誤読の影響がかなりある事を改めて認識しました。
考えてみれば、どうしてアダムとイブは現在の聖書には書かれていないリンゴなのかとか、なんでモーセの絵や彫刻に角が生えてるのとか『ウルガータ』の果たした困った影響力には驚くばかりです。
識字率は低くとも、音で聞いて記憶した人々の芸術作品には翻訳の問題点も見る事ができるという、新しい発見をしました。今までは新しい翻訳の訳語選定によって生じる誤解などのほうが気になっていましたが、ほんとうにその誤訳に対する考え方を改めさせられた気がします。
誤訳なのか意図的な訳語なのかは調べたことないけど「アザゼルさんの羊(最近、アザゼルといわれるとついついアニメに影響されて「さん」をつけちゃう。それにイメージは金色の悪魔・・・)」をティンダルは「スケープゴート(贖罪の山羊)」と訳して、これがキリスト教と以外の人や外来語としても定着したすごさをみるとその果たした役割は大きいといえるような気がします。
講義の準備をはじめて、誤訳の影響力とその面白さを考えさせられます。確かに翻訳は破壊もするけど、やはり面白いものだとつくづく思います。