図書館戦争だけど守ってくれる図書館隊はいないので、討ち死する一般人もいる。

(無駄にぐだぐだ長い文章。捨てようかと思いましたが、自分の思考低さを反省するためにも残す事とします。)
ブログの掃除をしていて、なぜか或る市立図書館とその運営を問題と考えているサイトにたどりつきました。以前、ニュースでポイントカードとカフェを導入する事は見ましたが、私の閲覧記録は大丈夫なので、それ以上、特に気にしてませんでしたが、たまたま目に入ったサイトを読んで急に気になり、色々飛んでみると、この図書館ツッコミ処が星の数。さらに市の公式サイト自身が特定のsnsで迷路なこと、それよりなにより、市長の発言の数々には目が点です。すぐに熱くなれる方らしく、その熱で改革を成し遂げる力を保てるのでしょうが、しかし、自分に対する意見や質問は暴投で投げ返すか、恫喝。その言葉のセンスも脱帽もの。sns上級者のうえマイクロブログの達人なので、長いつぶやきを駆使、都合の悪いログはスルー、ブロック&デリート。論争も対話もなく、ひたすら信者への感謝と自分の敵への口撃と自画自賛ログ。イタスギル。論争相手になろうと頑張る方も、なかなか粘着体質な方が多くて、ある意味、それが彼のやる気をあげているよう。
それにしても図書館のカフェはなぜにシアトル系?完全にアメリカの大型書店のモノマネのモノマネ。ひねりも応用も全くない。地元愛に溢れる謎な通販やる割に図書館には地元愛は感じられない。開架式が基本らしいが、あまりに背が高くある意味誰も取れないユニバーサルデザイン。新しい図書館は代官山の本屋とNYPL(NY公共図書館)をモデルに考えてるらしい。前者はそのものズバリだけど、後者はどこが?多くを民間からの寄付金で運営?延滞者から罰金取るの?金欠で危機?天文学的な数と質の高いコレクション?地域の知的情報拠点基地として、起業家、研究者や作家の卵に支援を行い、活動場所や奨学金くれるとか?あ、ホームベージが複数でしかも迷路なところかな?それともライオンの像があるのかな?まさか、だれにでも開かれてる? NYPL固有で小さな市の図書館が取り入れられるものはなんだろう?気になる?そう、どうして大規模なところをモデルにするのかな?大は小を兼ねるがモットーなのかな?それとも市長である俺様がビッグだから?カフェ付き貸本屋に向く図書館はもっと規模の大きなところであって、小さい規模だとこのスタイル意味ないようにおもうのですが・・・
確かに、公共の構造物の多くが構造物そのものと運営の体質改善が必要なのは理解出来るし、困難な事だと思う。それを図書館と本屋、レンタル屋をすべて同じものとして捉えて、居心地良くと利便性を改革しようというのは斬新奇抜で脱帽する。実際、図書館も蔵書は増やさずに、新しいモールができた時のような楽しい興奮をもたらし、利用者も多いようで何よりですが、利用者ふえても図書館は黒字にはなりえない。もちろん、新しい広告塔、マーケティングリサーチ実験施設という意味では大成功!市長主導の意表を突くアイディアで市の認知度をあげたという意味では、スゴイ。ただ、その市のアイディアの数々、sns依存、瓦礫受入、ボイントカード図書館など、どれもとても危ういし、根本問題はまるで解決しない。行政が怪しき広告代理店になり、新しい居心地の良いカフェと市のイメージ向上というのが、地方都市の知的情報拠点としての図書館に対して、行政はなにをすべきかの答えだとしたら寒過ぎ。
ところが、他人事と笑ってられなくなってきました。
私の住むところの知事は私のようなパート主婦に役立たずという烙印を押して下さったり、嬉しげにビックリ英語でつぶやいたり、公費でアメリカくんだりまでいって自爆PRしたりと愉快な人ですが、この人も敵を自分で作り出して喧嘩して、恫喝して、討ち死にしても開き直るタイプ。敵が増えるとhpが増える。きっとつぶやくサイトのユーザー名は「俺様」、バスワードは「なんでもいいから経費削減」、「ゴリ押しで突破させる」あるいは「お前らにはワカラン」ですね。しかし市長と似たようなタイプなので五つの輪祭を招致できないとなると、さらに図書館や博物館(すでに息子の芸術は理解してもリキテンシュタインは理解しない先代ゾンビのせいでジブ○がらみが増え、利用者数で評価するという謎の改革はされている)の変な改革にのりだしそうな気がしてきて、対岸の火事と思えなくなってきて、図書館を守るため五つの輪祭誘致を賛成したくなってきました。すでに理解できない交通24時間計画もでてきたし、他の地方都市の行政をネット見物してる場合ではないかも。それともそう思わせるのが、ねらいなのか?
俺様首長恐るべし
そんなオチ!