意味が無い

21日に大統領はoathをやり直したというニュースが取り上げられていました。
このやり直しの光景をテレビで見ましたが、大統領は聖書に手をおくどころか、持ってもいなかった。ただし、それは宗教的色合いを抜くためとも思えなかったし、特に政治的な意味が込められていたとは思えなかった。彼はaffirmでなくて、swear しているので、宗教的宣誓だった事は明らか。聖書を使わなかったのは単にリンカーン聖書を文書館にさっさと返さなきゃならなかったからなのかもしれないし、最初の宣誓が有効とされ、二度目は念のためらしいので、どうでも良かったという事なのかもしれない。
それでも、結局、この人は最初のoathでも聖書を開いていなかった。多くの大統領就任の宣誓では手を置いた聖書が開いている頁の言葉に意味があったのに、それを避けた。リンカーンの聖書をわざわざ使ったのに、開けもしなかったし、さらに二度目にはoathに使わなかった。わざわざこの聖書を出して来て伝えたい事はなんだったのか?
なんだか今回については宗教的に宣誓する意味を彼がどう考えているのか全くみえなかった。あれだけ理想主義的な発言で人気を集めた訳だから、大統領として明確な宗教に対する信条や立場を見せて欲しかった。
宣誓で使われた聖書はリンカーンの手書きが入っていなければ、単に1853年のオックスフォードから出版された欽定訳で、数十ドルの価値しかない。それと何かが似ている気がした。