言葉と文脈

最近、不適切な発言ということでネットやらメディアで大騒ぎなどということを見かける事が増えていますね。
で、その不適切な発言はどうでもよくて、メディアがネットで批判が広がっているとかいう理由でさらにその火種を大きくするのがパターン化しているように思います。しかも、見たくも知りたくもないのに、新聞の広告に、電車の中吊り広告、周りの人が読んでいる雑誌や夕刊紙、ネットのポータルサイトのニュースや、たまたまつけたテレビやラジオのニュースと様々な形でこの大騒ぎに引き込まれていきます。あまりにしつこくて、うんざりするだけで、問題の本質は置き去りにされ、メディアも次の火種を見つけるとそちらに移ってしまうというような状況です。それに結局は槍玉に挙がった人の間違った発言の言葉の端だけを報道するので文脈がわからないというのに、毎回イライラさせられます。
先週、イギリスでも英国国教会カンタベリー大主教の「シャリーア法(イスラム法)を部分的に適用することは”避けられない”と思う」という発言が論議と非難をよび、辞任に追い込まれるかもというところにまで発展しています。普段は殆どのイギリス人は教会によりつきもしないのに、こういうときだけ騒ぐのも、イスラムというだけで過剰に反応するのもどうかと思います。確かに、よくわかっていないのに大胆な発言をしたのかもしれませんが、キリスト教以外の人も同じ国で生活しているわけですし、彼らの事も社会的に考慮してはとキリスト教の主導者が提案し、論議する事は有益な事と思います。それを「けしからん」で辞めさせようという動きがでることこそ、恐ろしい現象です。彼がこの職についてから、王室の離婚問題に、ゲイの聖職者問題等を巡ってアフリカなどを中心とした保守派のプレッシャーなど気の毒な事情が重なって苦難続きですが、私は是非、彼にこれからも頑張って欲しいと思います。