昔の人は偉い!?

夕飯を食べながら、翻訳の話をしていて、ふと話題になったことがあります。
最近出回っている文書や発言の多くは外来語というか英語の単語を日本語風の発音にしただけの中途半端な外来語が氾濫していますよね。
コンプライアンスとかガバナンス、アカウンタビリティー、エンパワーメントなんてどうしてに日本語でいえないんでしょう。それが行き過ぎて、ノンステップバスとかデイサービスとか英語では意味不明な「外来語」もある始末です。
マニフェストだって、結局公約以上の意味を持っていないのに聞こえがいいというだけで使われている。
なんだか私並みのへたくそな翻訳が氾濫している様です。
そんなことを考えると今の人が聖書翻訳しないでよかったと思います。
神、義などという単語も本来は日本語にはなかった意味が聖書翻訳によって新たな意味も持っていったと思います。その本格的聖書翻訳は(といっても欽定訳からの翻訳だろうけど)欧米人がキリスト教が一番進んだ文明の宗教ととらえがちだった時代に行われたにもかかわらず、日本語を尊重した訳をよく行ったと思います。今なら日本人自身が「イエスのリデンプションを通してゴッドのグレイスによりフリーリーにジャスティファイされるのです」とか翻訳しそうです。
ホント、昔の人は偉かった!(そんな結論!!)