Inaugural Bibleその三

昨日、聖書を使わなかった大統領は宗教色のない宣誓(affirm)で1853年に就任したフランクリン・ピアースと紹介しましたが、その理由が判明。政教分離を推進しようと思った訳ではなく、自分の子供が列車事故で亡くなったのを儚んで、神を信じられなくなっていた時期だったかららしい。やはり、政教分離を理由に宗教色のない宣誓をしなかった大統領っていないのかな?
就任式で手を聖書に載せて宣誓(oath)をするわけですが、この際、聖書を使わなかったと判明しているのは二人と紹介しましたが、聖書(もしくは祈祷書)を閉じて宣誓したと判明しているのは4人です。トルーマン一期目、ケネディ、ジョンソン、子ブッシュ一期目です。ケネディはおそらくカトリックの聖書(The Douay-Rheims Bible じゃないかしら?)を使ったため閉じていたと考えられ(アメリカでは露骨に反カトリック感情を示す人は多い)、ジョンソンは一期目は時間不足のためか閉じた祈祷書、二度目は宗派色を嫌ったんでしょうか?子ブッシュはおつむの問題かしら?むむむ聖書一つでも就任式は不思議はいっぱい。
そして、大統領就任式において、19世紀のジョン・マーシャル最高裁判事として最も大統領の宣誓を受けた人なのでしょうが、最も有名なのは、10回以上大統領就任式関連で祈祷や説教を行ったビリー・グラハム牧師です。しかも、彼の息子が昨年の1月20日子ブッシュの就任式で「祈祷」を担当しました。まさに「世襲」ですね。最高裁判事も大統領も代わるのに、なぜ牧師は変わらないのでしょう?(ちなみにビリー牧師は大統領のお葬式(国葬)でも大活躍してます)