十戒

日本も最近ある神社を巡って政教分離の問題が話題になってますが、アメリカでも各地に残る公共施設での宗教的モチーフに対して数多くの訴訟が起きています。そんな今のアメリカの大統領は「信仰」によって生まれ変わったことを自認する人物で、その支援者はクリスチャンコーリションや福音派であることは有名です。
そのような状況下で、十戒を公共の場所や施設に設置することは宗教色がみられない場合は合憲となってしまいました。ケンタッキーとテキサスの十戒が問題対象になっていて、ケンタッキーは認められなかったけど、テキサスのは多くの記念碑と同じ環境で宗教性はないということで、OKに。うーん、宗教性を伴った場合は否定された訳ですが、テキサスの場合も最高裁で5−4で合憲となったのだから、微妙な判決ですけどね。しかも、今の最高裁って保守の人が多数派だから当然の結果ともいえます。ただ、100年以上前に学校に十戒を置くことを否定して以来、テキサスは法廷で認められた希有な例になってしまいました。もちろん、多くのアメリカ人は十戒を公共施設におくことに特に反対している訳ではありませんが、結果的に、ある種の人たちの運動をもり立てることにつながるのかと思うと私としてはぞっとしました。当然、アメリカのPBS(公共放送)でのニュースアワーでも話題になりました。(ネットで動画でこのニュースを見ることもできます。また、テキストのサイトはこちら)ここでは、ジェイ・セクロウ(Jay Sekulow)がコメンテーターとしてでてました。どうして、こんな人をPBSは宗教問題が話題になる度に呼ぶのでしょうか?この団体は、この話題をてこに宗教の自由を認めろとかいって、聖書や祈りを学校に持ち込んだりすることをねらっているんですよ。そして、人をとある団体向きに生まれ変わらせようとしているのです。こういう人がいると来栗鼠今日という言葉が嫌になりますね。